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副鼻腔炎の手術をしました

長年悩んでいた副鼻腔炎の手術をしました。

10年ぐらいの間に急性副鼻腔炎の間に治ったことは何度もあり、慢性副鼻腔炎までこじらせて、数か月に渡って通院と薬で治したことも数回(4、5回ぐらい?)あったのですが、今回ばかりは薬ではどうにもならなくなりました。

 

一回目に手術をすすめられた時は、入院を伴うので「家のことはどうなる?」「仕事は休めるのだろうか」「痛いのいやだし・・・」なんて躊躇してしまったのですが、迷っているうちに仕事中に立っていられないほどの頭痛に見舞われ、鼻と喉の不快感もどうにもならず・・・。

 

一か月後、このまま薬を続けても何の改善もみられないと覚悟を決め、手術を決めたのでした。

手術日を決め、その一週間前に手術前の検査があったり、既往歴やアレルギーの問診などがありますよ・・・という説明を受けました。

それからは毎日手術のことばかり考えていました。

 

手術前の検査でダメですって言われたら、ずっとこの痛みや不快感と付き合っていくことになるん?やっとの思いで覚悟したのに・・・
同僚
今まで健康診断で再検査とかしたことないやん・・・ぷぷっ

 

全身麻酔で目が覚めんやったらどうしよう。色々準備しとこ。家の片づけしたりとか。
家族
片づけるのは良いけどさ、目が覚めんってどんな確率やろね。ふっ

 

・・・などと、周りの人たちに笑われつつ、毎日びくびくしながら過ごしました。

 

職場の人で、場所は違えど手術経験者が意外と多いことが分かったり、体験談を聞いて安心したり不安になったり。

 

同僚の看護師は、主治医と同じように「今の副鼻腔炎の手術は内視鏡なんだから、そんなに心配ないよ。腫れないらしいし。」と言ってくれたけど、他の同僚は「ちょっと前(だいぶ前?)までは前歯の上の方を切って手術してたんだから。弟が受けたことあってね。壮絶だった。」と、細かく教えてくれて、かなり恐怖感を煽ってくれました。

 

そんなこんなで手術前の検査の日。

 

心電図・血液検査・尿検査・問診を受け、待つこと一週間。

 

もともと健康体な私。

 

何ともなく、むしろ、10年以上前にひどい花粉症(血液検査でもしっかり陽性)だったはずなのに、反応なくなってるし、、、

ハウスダストなどその他もアレルギー反応なし。

これは主治医も信じられなかったようで「アレルギー反応がなくなるなんて、あまり聞かないんだけどなぁ」と言っていました。

 

可能性としては、5年間ほど仕事で無菌室でずっと培養作業をしていたからなのか(窓もない研究室で)、ヤクルトが花粉症に効くというヤクルトレディさんのおすすめで(その時は本当に何でも効くなら試す!という気でいたので)、飲み始めて気づいたら5年以上経っていたからなのか・・・

いや、でも無菌室にこもっていた数年間も電車通勤だったし。

 

不思議だけど得した気もする検査結果。

 

そして、やっぱり手術するしかないじゃん!と腹を括りました。

 

入院の友は、バスタオルとティッシュ!!

 

さて、手術前検査から一週間経ち、風邪をひいたりすることもなく無事に入院の日を迎えました。

 

当日が手術というわけではないので、家族には仕事へ学校へといつも通りに過ごしてもらい、私は、一番最後にバスで病院に向かいました。

 

前日までに病院から準備するよう伝えられたものをバッグに詰め込んで、ティッシュなどはバスに乗る前にドラッグストアで調達。

 

現在飲んでいる薬(副鼻腔炎用の薬はこの時点で効果を発揮しておらず、飲みきり中止だったため、なし)
お薬手帳
パジャマ(鼻血などで汚すかな・・・と思い、3セット)
下着(3セット)
タオル類(なんとなく多めにフェイスタオル8枚)
かかとがつつまれていて着脱が簡単な履物(クロックスタイプは不可とのこと)

普段の生活でバスタオルを使わない私は、荷物を最小限にしようと持っていかなかったのですが、バスタオルは何かとあると助かるものなので持っていけば良かったな、と思いました。結局、面会に来た母が売店で買ってくれました。

手術直後は痛いし発熱するしで、動くこともなかなか出来ないのに鼻血はどんどん出るのでティッシュをちょうどいいところに落ちないように固定したり、病室の微妙に寒い空調に合わせて足元をカバーしたり、羽織ったり、色々使えました。

 

シャンプー、歯磨きなどは、手術着をレンタルするのが強制的だったため、そのレンタルにセットされているものを使いました。

 

テレビ用のイヤホンも記載があったのですが、決まった番組を見る習慣もないし、スマホで十分だと思って準備しませんでしたが、退院前の2日間でやっとスマホ触れたぐらいなので、やっぱりいらないものでした。

 

病院からの入院のしおりにはなかった副鼻腔炎の手術の際に必要なもの。

それはティッシュです!

しかもやわらかいもの。

これは、本当に買っておいて良かったです。

3箱1パックはさすがに余るかなと迷ったのですが、出血の多かった私の場合はむしろ足りませんでした。

一箱は上記の手術着レンタルの付属品でついてきたのですが、加えて一箱買い足し、合計5箱使い切りました。

やわらかいティッシュは不快で痛い状態を少し癒してくれます。

レンタルの付属品の通常ティッシュを間に挟んだことで、やわらかいティッシュの良さを再認識しました。

辛い時は、こういうところで救われたいものです。。。

 

入院当日の流れ

10時半までには入院受付に到着するように、との事だったので10時過ぎに到着し、入院証書、健康保険証、限度額適用認定証(手術が決まったときに病院から手続きの用紙をもらったので、すぐに申請したら1週間もせずに郵送されてきました。)を提出し、手術当日に着る手術着のレンタルと付属のアメニティセットの申し込みをして病棟へ。

 

迷子になりそうになりながら院内マップを頼りにナースステーションに着くと、スタッフの方がにこやかに案内してくれて「今、担当の看護師が外しているので荷物の整理でもしていて下さい。しばらくしたら今後の説明に行くと思います。」と言われ、ポツンとひとり。

 

4人部屋だったが、この日は一人でした。

翌日に二人、その次の日にはもう一人入院してすぐに満室になりましたけど。

 

そこで荷物の整理などをしていたら両親到着。私が子供の時から心配性な二人。来た早々から、「大丈夫よ」なんて言ってくれるけど、まだ何ともありませんから・・・

 

潔癖症ではないと思うのですが、床頭台などにそのまま自分の物を置いたり入れたりするのはためらわれたので、除菌ウエッティで拭き拭きしながら話をしていると「担当の看護師の○○ですぅ~」と笑顔で入ってきた30代と思われる看護師登場。

 

入院生活(朝食7時半、昼食12時、夕食18時、22時に消灯)、面会の時間などの説明が終わって「本人確認のためのリストバンドを装着しますね」なんて言っておいて、リストバンドがどこにあるのかわからない様子。

 

他にも忘れ物をしていて、一緒に取りに行くと言っておきながらまた忘れてきて一人で騒いでいる。。。

一抹の不安がよぎるも、たまたまかな・・・と思うようにしたのです。

看護師の対応の不安はその後もなんとなく尾を引くことになりますが・・・。

担当看護師から名前とバーコードのついたリストバンドを装着され、アレルギーなどの食事関連の問診があり、後から手術執刀医と病棟医、麻酔科医師からの説明があると聞きドキドキしながら待つことに。

 

しばらくして麻酔室に行くように言われて、エレベーターで麻酔室へ。

 

愛想のない受付の人から奥の部屋で待つように言われ、さあ座ろうと腰を下ろしかけると、汗を拭き拭き笑顔で若いお医者さんが走ってきました。

手術の合間に来てくれたそうです。

 

私は怖がりなので、後遺症とか、もし目が覚めなかったら・・・なんていう事は繰り返し質問したのですが、どれも分かりやすく安心できる解説が返ってきてこのお医者さんなら任せられると思い、同意書にサインしました。

 

やっぱりお医者さんも思いやりのある対応ができる人がいいなぁ、なんてちょっと嬉しくなり、病室に帰りました。

 

その後、説明不足だったと担当看護師が慌ててやってきて手術の時の家族の駐車場や待つ場所の説明などをして、また慌ただしく出て行った。。。

 

ほどなく執刀医と病棟医の説明があり、執刀医は私が手術を不安がっているのを知っていたため両親の前でも念入りに説明してくれて、数年前に肝臓がんで手術した父が「ここの先生は分かりやすいように噛み砕いて説明してくれるし優しいね」と言っていました。

 

そして、両親はいったん帰り、入れ違いで紫の制服を着た女性が入ってきて、「明日は朝一番だからワイワイがやがやした開始になりますよぉ!」と、興奮気味に言ってきた。「あ、明日にならないと分からないですよね!あの独特のかんじは!」なんて、まだ言っている。

 

私は、この人は何をしに来たのだろう・・・と思いつつ「明日の手術のことですか?」と返したら、やっと自分が手術室を担当している看護師で、明日は手術室に入ったらすぐに自分たちが心電図や酸素マスクなどを装着して、数秒で眠りに落ち、目が覚めたときはすべてが終わっているかんじです、という説明をされた。

 

そして夕食。

 

よく言われる病院食は薄味でまずい、ということはなく、食器も温かみのあるものだった。この夕食以降、翌日は丸一日食事は食べられないので、完食した。というか、いつも食べている量は適量だと思っていたが、かなりオーバーしていたのかも・・・と考えさせられるぐらい物足りなかった。

この日の21時までは軽い間食などは食べていいということだったので売店に行ってみたが、気分に合うものがなく、結局チョコレート一粒しか食べなかった。

 

0時からは水もダメ。のどが乾いたらうがいをして、ということでした。

手術をした知り合いに、「手術前の夜は睡眠導入剤を飲まされるよ」と聞いていたのですが、何も薬はなく、寝付くのにも困りませんでした。

 

いよいよ手術室へ!

 

翌朝、普段より早い22時過ぎに入眠したのに朝の放送が聞こえるまで眠っていました。

 

担当看護師が「もっと早く来たかったんですけど、、、」といいつつ、バタバタと体温・脈拍・血圧を計測。

そして手術着と弾性ストッキングを置いて、「弾性ストッキングははくのにコツがあるので、手術室に移動前には私が来ますから一緒にはきましょう」と言って去って行った。

どこからともなく食器の音が聞こえておなかが余計にすくので、手術経過予定表などを熟読。

 

手術室に出発するのが8時20分だったのに10分前になっても先ほどの看護師がこ来ないので勝手に自分で弾性ストッキングのパッケージを見てはいてしまったが、結局その看護師は出発の時まで来なかった。

 

両親が慌ただしく到着し、いざ手術室へ。

 

エレベーターで降りていくのだが、どんどん人が集まってきて、昨日の手術室の看護師が盛り上がっていた通り、手術室入り口で複数の手術前の人とその家族、病棟からの付添いの看護師でワイワイガヤガヤしていた。

 

聞こえてくる話では、手術慣れしている人が多く、「前回よりは時間が短くて済む」とか「切るところが近いからどうだ」とか大きな声で手術自慢(?)している人も複数いて、ビビっているのは私だけ?という状況でした。

 

そこに執刀医たちが行き来し始めて、それぞれの手術室にワイワイした雰囲気のまま分かれていきました。

 

 

ついに内視鏡下副鼻腔手術開始!

 

手術室に手術室担当看護師、麻酔医師などと入って思ったより狭い手術台に横になると「メガネ外しますね」「心電図つけますね」「点滴準備できました」などと次々に聞こえてきて、「安心してくださいね。数秒後に眠って、目が覚めた時は終わってますから。」あ、麻酔のお医者さんの声だ・・・なんて考えているうちに意識が遠のいていった。

 

メガネを手術室に入ってすぐに外されたので、色々見たかったのにほとんど見れずに手術が終わっていた。

 

そして、麻酔が切れて看護師さんだと思われる女性の声で「手術終わりましたよ。どうですか?」と声をかけられて数秒意識が戻った時に私が発した言葉。

「あ、終わってる!鼻がスースーする!!」って。

綿がぎゅうぎゅうに詰められて通っているはずのない鼻がスースーするなんて、どうして言ったんだろう???と今でも不思議です。手術していない方の鼻はたしかにスースー通ってたんでしょうけど・・・。

 

その後、また意識が飛んで次に気が付いたのは病室のベッドの上でした。

 

しばらくは、無事に終わったんだ・・・と思っていましたが、数分後から鼻血の不快感、薬が切れた後の副鼻腔と頭の痛み、発熱と色々な異変に気づきました。

 

顔も「内視鏡での手術だから、ほとんど腫れはないです」と説明を受けていたのに、パンパンに腫れ上がっていて、それを見た家族が号泣したり。。。(3日後ぐらいに腫れが半分ぐらいになって目の周りが一時的にしわしわになったりして、退院数日後にほぼわからないぐらいになりました。)

 

酸素マスクもフィット感が良くなくて付け心地が悪いし、のどの方に落ちてくる鼻血をとるのにも邪魔だし、涙もずっと流れているので濡れて気持ち悪いし、早く外してくれないかな、とバイタルチェックに来る看護師に聞いてみても「3時間は外せない」と言われるし。

 

トイレは、熱もあるし涙も流れっぱなしだしフラフラしてしまうので2回ほど付き添ってもらいました。

 

鼻血が多かったので自分で綿球を取り替えるように渡されたけど、はじめは手術した鼻を触るなんて・・・と怖くてできず、鼻に詰められた綿球の外側に垂れる鼻血をぬぐっていました。

でもあまりに出るので思い切って綿球を抜き、新しい綿球を押し込んでみました。やってみると簡単なことでした。

 

その後は夜間30分おきぐらいに綿球の交換。

顔半分ズキズキ痛いし、熱も38度台。痛み止めは初めの2~3時間しか効かないから次の痛みどめがもらえるまでの2~3時間は痛みを我慢するしかありませんでした。

こうして手術当日の夜は過ぎていきました。

 

 

そして手術翌日。

 

やっぱり涙は出続け、痛みも鼻血も変わりなく、その上、手の甲に刺さってる点滴の針がテープで固定されていてテープの角度が悪く、かなり針が引っ張られてて痛いことに気が付きました。

看護師に訴えるも「食事の入り具合などにもよりますが、あと数回は点滴があるので別のところで確保しましょうか?」と言われ、液漏れもしていないし、もう一度刺されるのも嫌だなと思い、我慢。

 

案の定、朝食はほぼ食べることが出来ず、点滴。

昼食は絶対食べる!と意気込みはしたものの、片鼻は完全に綿が詰められていてふさがっているけど、もう片方も涙が止まらないせいか鼻水が出ていて、食べようとすると苦しい。

酸欠の金魚みたいにパクパクしながらしか食べられないのです。

 

目の前に出された、まだ湯気が出ている美味しそうなミートソース・・・(あまりに未練が残りすぎて、退院した翌日の夕食はミートソースにしました。)

起き上がってベッドに設置されたテーブルに向かう前から涙がぼたぼた落ちて、しかも頭と点滴の針が刺さっている手の痛みでフォークを持ち上げるだけの力が入らない。何度持ち上げても途中で落ちてしまいます。

 

何回もチャレンジましたがうまくいかず、そのうち食欲も失せてしまい、横になりました。

 

でも、お昼過ぎに家族が持ってきてくれたフルーツをゆっくりたくさん食べたので元気が出ました。小さいフォークなら持てました。

 

その後、この日も入浴禁止だったので、体を拭くためにお手拭を100倍にしたような分厚い不織布が個装されたものを5パックほど看護師が持ってきてくれて、手術前に履いた弾性ソックスは脱がせてもらいました。(歩行開始から24時間を過ぎたら脱いで良いということでした。)

 

拭きましょうか?と聞いてくれたけど、やっぱりちょっと抵抗があり「自分でやります」と言ってはみたものの、力が入らず出来ませんでした。

まぁ、手術の時に色々されているんだろうから、やってもらえばよかったなぁ。

 

そして夕食。

今度こそ食べるぞ!と意気込みテーブルに向かったところ、顔に表れすぎて配膳してくれた看護師に笑われてしまいました。

 

白身魚のアーモンドフライ。めちゃめちゃ美味しかった!

もともと薄味が好きなので、病院食も美味しく感じました。

まぁ、時間はかかるので最後にはすっかり冷たくなっていたけど。

それ以降、退院するまで全部完食。同室の人は色々と文句を言ってましたが、私は美味しくいただけました。

 

手術後1日目なので日に4回検温、血圧などあって、寝る前の測定の時に「今日は食べられて良かったけど、お熱も高いし点滴しますね」とあっさり言われ、結局、点滴しながら寝ることに。

 

以前に点滴中に眠ってしまい、袖が通らなくなるほど液漏れしていたのに気付かなくて、腕の色が打ち身のように紫から黄色っぽく変化したり、皮膚が腫れあがった後にしぼんでかさかさして張りがなくなったりと、しばらくいやな思いをしたので、たびたび目を覚ました。

 

鼻の綿球の交換もあったから、どっちにしろゆっくりは寝られなかったんですけどね。

 

手術後の処置の痛さに体が硬直。中堅看護師も涙。

結局、あまり寝られないまま副鼻腔炎の手術2日目。

朝食の時間と痛み止めが効いている時間がずれてしまい、頭痛か副鼻腔が痛いのか(どちらもだろうけど)痛すぎてまたしても手に力が入らず、半分も食べられずに時間が来て回収されてしまいました。

朝は特にスタッフが忙しさ全開で、介助してもらいたいわけではないが、ちょっとぐらい気にかけてくれても・・・と悲しくなりました。

 

そして、食後すぐに地獄を味わうことに・・・

怖がりな私は、手術前にネットで調べたり、職場の人たちに聞いたりして鼻に詰められたガーゼや綿を抜くことが痛いことは知っていたのだけれど、これも、「内視鏡での手術は顔は腫れない」と同様に「今は溶ける綿を使っているから、ちょっと前に言われてたみたいには痛くないから大丈夫」という言葉を信じていた。

 

ところが、私の場合、顔の腫れが通常よりかなりひどく、溶ける綿が裏目に出てしまいました。

ほとんどの人は、スムーズに溶けかけの綿がずるずるぅ~という感じで抜けるそうなのだが、私の場合、腫れて狭まったところに残ってしまい、中途半端に溶けかけているものだから複雑に大小の綿が何か所にもくっついてしまって、それが炎症を起こして発熱とその後の処置の壮絶な痛みの原因となったのでした。

 

主治医が処置の度に「まずい、腰が痛い」という長時間、麻酔なしで器具で鼻の奥をカチャカチャといじられるのだ。似たような状態で失神する人もいたらしいので、終わるたびに看護師や病棟医が「頑張りましたね。大丈夫?」とか「我慢しすぎてないですか?痛い時は手を挙げて下さいね。」なんて言うくせに手を挙げても主治医は「もう少しだから。もう少しでとれるから」って、手を緩めてはくれないし、麻酔をしてもらえないかというと「体の負担を考えると・・・」というし。

どっちにしてもやらなきゃダメなんでしょ・・・というやけくそ我慢でした。

 

この痛い処置は退院後の通院でも数回続き、その度に38度台の熱が出ました。

しばらく続くこの処置、初回のこの日は例えようのない痛さ。

終わった後、なんでこんな目に遭わなきゃならないのか・・・と、真剣に思いました。

痛かった左半分の髪の毛が逆立っていないかと思うぐらい痛かった。

その上、「この状態が続くなら処置台じゃ無理だから手術室も考えないと」ということをお医者さん同士で話していて、不安いっぱいで処置終了。

 

付き添ってもらって、やっとの思いで数メートル先の病室のベッドに着き、放心状態で横になっていると、今度はレントゲンを撮るように言われました。

しばらくして、よく名札が見えなかったけど看護助手らしき人が車いすで連れて行ってくれた。「かなり痛かったんでしょう?鼻とか頭に近いところは特に痛みを感じるとか言いますもんね~」なんて話しかけられたけど、愛想笑いしか出来なかった。

レントゲン撮影を終えて、またしばらく横になっていたら夕食の時間。

今回ばかりは食欲もなかったが、少しおかずを食べて力尽きました。

 

夜の検温でも37度台後半。痛み止めを飲んでいなかったら何度なんだろう…なんて考えながら、うとうとしては綿球を取り替えました。

 

そして手術3日目の朝。

痛み止めのタイミングを朝食とその後の処置に合わせることが出来たので食事は完食。

そして、すぐ後に病棟医から処置室に来るように言われ、しぶしぶタオルを握りしめ病室を出るも、どうしても足が向かず、途中のトイレに座っていたらトイレまで呼びに来られてしまった。

そして鼻の様子を見られた。「今日はここで良さそう」と内線で話している。

手術室には行かなくていいらしい。ホッとしたのも束の間。

すぐにシューシューとスプレーされてまたカチャカチャとやられる。

我慢のあまり、硬直したように体が硬くなっていって、お医者さんに何度も体勢を直されつつ、やっと終わった。

 

すると、私の正面で見ていた看護師が目に涙をためていました。

私は痛みで涙を流して、手術後から常時涙が流れている左目は余計に涙で顔が濡れていたのだが、その痛みを我慢する私を見て「看護師になって初めて患者さんの辛そうな姿を見て涙が出ました。」ということを言われました。

その看護師に支えてもらいつつ病室に戻り、最後の点滴。その後の抗菌薬は飲み薬に変更。

予定ではこの日からシャワーが開始だったけれど、出血が多いため明日に延期となりました。

 

同じ日に手術した人が退院していく姿を見送り、いびきと歯ぎしりに悩まされ始める手術4日目

 

手術4日目になり、夜は痛み止めなしでも38℃まで上がらず過ごせてちょっと安心した朝を迎えました。

朝食も完食し、熱で重いかんじはあったけどふらつくこともなく部屋の外のトイレに行こうとしたとき、同じ日に同じ手術を受けた(・・・と看護師に聞いていた)年配の男性の周りが片付いているところを見たのです。

私が涙目で苦しんでいるときも廊下をスタスタと歩いている姿は見えていたんですが、こうもはっきり手術後の違いを見せられたら、悲しくなりました.

 

でも、思い切って「今日、退院ですか?」と聞いてみると「そうよ。やっぱり内視鏡はすごいねぇ。一昔前とは全然違うらしい。あんたも同じ日に手術したろ?なんの手術ね?」と聞かれたので「同じ手術みたいです」と答えると、「あ、そう?人によって違いがあるんやろうね?ふーん・・・」と気の毒そうに不思議そうに私を見て頷いてました。

 

後で看護師に尋ねると、副鼻腔の中の病変している面積が違ったり、処置の部位が違ったりして、治り具合には個人差があるらしいです。

同じ手術に踏み切るのでも、早く決断したほうが良かったんですね。

他の病気にも言えることかもしれませんが。

 

私の場合は副鼻腔と呼ばれる、鼻のすぐ横の上顎洞(じょうがくどう)、目の間あたりの篩骨洞(しこつどう)、その奥にある蝶形骨洞(ちょうけいこつどう)、おでこの辺りにある前頭洞(ぜんとうどう)という左側全部の空洞が炎症を起こしていたので、治りも遅かったのだと思います。

 

その後、また溶ける綿の除去などの処置を受け痛みで疲れてしばらく横になりましたが、その日から目の前が歪むほどの涙がたまらなくなったことに気が付いて手術後4日目にしてやっとスマホの画面を見る気になり、たまった返信と共に、手術後の報告と、顔の腫れが引いて顔がしわしわだから面会には来ないでほしい旨、連絡をしました。

この時の手術をした左半分は、目の周りや鼻がしぼんだ風船のようにしわしわになって、日焼け跡のようにパリパリと皮がめくれていました。

夕方も完食しましたが、また熱が38℃にあがっていたので、またしてもシャワーはおあずけ。

夜はまた37度台に下がりましたが、この日に入退院で4人部屋の2人が入れ替わったのですが、この二人の歯ぎしりといびきががすごくて眠れずに朝を迎えました。

 

予定では、退院するはずだった日でしたが、もう少し炎症が落ち着いてからしようということで、延期。

またしても朝食後の処置の時間はやってきて、主治医たちは「やっぱりこれが大きいね。これが取れるまでは・・・。」という会話をしていて、その後熱が上がり、ぐったりして昼食の時間。

 

昼食後に主治医がやってきて、まだ大きい綿の塊があるから明日まで退院は待ってくださいと言われ、やっぱりな・・・と思いました。

 

夕食前にうとうとしていると、またもや歯ぎしりが聞こえてきて眠れず、夕食の時間。

家族が面会に来た時、歯ぎしりの音に驚いて、あと二日退院できないなら個室に移ったら?とナースステーションに相談に行ったが、空いていませんでした。代わりに睡眠導入剤をくれました。

 

その日の夜も歯ぎしりといびきで眠れずに過ごしました。

睡眠導入剤のおかげか入眠は出来ましたが、やはり音で目が覚めるんです。

歯ぎしりは、耳慣れない音で頭に響いてくるし、いびきは家族も結構な音を立てるので慣れていたつもりでしたが、「ゴーゴー」とかではなく、常に「んがっ んがっ がひゅー がひゅー んがっ んがっ がるるる・・・んばっ・・・」という爆音なのです。

 

翌朝、もともといた隣のベッドの患者さんが、私がトイレに行ったときに追いかけてきて「昨夜も眠れなかったでしょう?」と話しかけて来ました。私も深く頷き「個室も空いてないんですよね」というと「そうそう。でも毎晩こんなんじゃ休まらないね。そんなに睡眠薬も続けたくないしさぁ。あっちの二人はお互いすごいから気にせず寝てるんだろうね」という全く同感な会話をして気分転換に廊下や窓の大きな面会室を散歩しました。

 

そして朝食を済ませ、また処置の時間です。

日に日に痛みはやわらいでいるはずなのですが、やっぱり涙は出るし、痛いものは痛いのです。

 

処置後、また熱は38℃近くまで上がりましたが、うとうとしていてもいびきが聞こえてきます。

夜も昼もこのこの爆音じゃ、休まらない!!と意を決してナースステーションへ。

処置のために通院するので退院させてほしいと願い出ました。

 

看護師も「明日までとのことですが、やっぱり眠れませんよね・・・」と困り顔。

 

主治医に連絡してくれていましたが「やはり炎症のための出血の心配があるのと、発熱があるので明日までは様子を見させてとのことです。」と言われてしまいました。

 

仕方なく、明日は帰れるはず!と念じながら病室に帰って、昼食。

 

14時の検温が37.4℃だったのでシャワーの許可が出ました。手術後5日目のことです。

退院は延びていますが、うきうきしてシャワ-室に行きました。

水圧の強いシャワーにクラクラしながらも、すっきりいい気分で病室に戻りましたが、歯ぎしりの音に現実に引き戻されてしまいました。

 

久しぶりのシャワーで疲れたのでやはり少しぐらい寝たいなと思い、ふかふかのバスタオルと一緒に待合室の窓際のソファで座っていたら一時間ぐらい居眠り出来ました。睡眠って大事だなとつくづく思いました。

 

夕食は完食、でも夜はやはり眠れず、翌朝を迎えました。

 

そして翌朝。手術後6日目の処置がやってきました。

「やっぱり退院したいですよね?」と主治医。

「眠れないと体が休まらないので。通院は必ずするのでお願いします。」と私。

「分かりました。じゃあ、今日の処置は、昨日よりちょっと我慢してくださいね」と言われ、覚悟を決めて歯を食いしばり、親指を中に入れてぎゅっと手を握りました。

 

確かに、痛いけど日に日にましになっていると思っていた処置の痛みが、今日は数日分逆戻りしたかのようでした。

涙がぼたぼた流れて、処置後もしばらく涙目でした。

「痛かったでしょう・・・。予想よりは取れたので、また熱が上がると思いますが、しばらく休んで気分のいい時に帰られていいですよ。しばらく通院は必要ですが。」と言われ、涙を流しながらお礼を言って帰り支度をしました。

 

両親が迎えに来てくれて、担当看護師から飲み薬の説明を受けリストバンドを外されて「退院おめでとうございます」の挨拶があって、鼻洗浄の説明を後からするので待っていて欲しいと言われたが20分程待っても何もなく、同室の人の歯ぎしりが始まったので待合室で待とうかとナースステーションに行くと、なんと担当看護師は夜勤明けで帰っていました・・・。

入院初日から退院の日まで、色々と抜けの多い担当看護師でした。

 

別の看護師から鼻洗浄の説明を受け、支払いを済ませて帰宅。長い一週間でした。

 

手術後1年が経ちました。良かったことと残念なこと。

 

退院して3日間は毎日処置のために通院して、3日、1週間、2週間、3か月と処置の間隔が開いていき1年が経ちました。

 

長く休んで2週間のつもりでしたが、退院後も1週間ほど微熱が続いていて、仕事には退院後2週間で復帰しました。

頭痛は収まらず、すっきりしないまま仕事を始めて不安な毎日でしたが、復帰後2週間ほどで痛みはなくなっていました。

 

日々のケアとしては最低でも1か月は鼻うがいをするようにと言われて退院し、初めは恐々やっていましたが1週間もすると慣れてきて1か月目の検診では強くやりすぎて逆に炎症を起こしているといわれてしまいました。

確かに手術前にすごく重たかった前頭洞をきれいにしたい一心で強く液を噴射してしまっていました。

冷静に考えたら構造上、どれだけ噴射しても直接届くわけないんですね。

薄々は同じところに生理食塩水が強く当たっているなぁとは思っていたんです・・・。

何事もやりすぎはよくありません。

 

でも、注意されて以来、慎重に鼻うがいするようになって診てもらうたびに「きれいにケアされている」と褒めてもらえていました。3か月ぐらい続けました。

 

普段は、鼻の通りもよく頭の鈍痛もなくなってはいたのですが、副鼻腔は全体的に腫れぼったいというかすっきりしない感じで、振動で刺激したくなかったので2か月経つまでは鼻をかむのもそぉーっとしていました。(鼻うがいと矛盾していますね)

あと、2か月と少し、起きているときも寝ているときもマスクをしていました。

退院する時に乾燥が良くないので落ち着くまでマスクをするように言われたこともありますが、何より鼻が通ることに慣れていなかったので、どうもスースーしすぎる気がして。

 

4か月目で風邪をひいた時は手術前に風邪をひいた時より頭が重く、副鼻腔も腫れ上がったような感覚があって、本当に良くなってるのかな・・・と不安になりましたが主治医は「すっきりよくなったと言えるまでには個人差もあるけど半年から1年以上かかる人もいる。あなたの場合は触った面積が大きかったから、半年ではどうかな。でも、手術直後の経過を考えるとその後は早い回復と思います」と言われ、カメラで鼻腔内を見せてもらった時も、まだ赤い部分とピンクの部分の違いがはっきり分かりました。

 

半年たったころは手術をしたことも忘れてしまうぐらい普通に過ごせていましたが、風邪にはこれまで以上の注意をしていました。

 

 

1年経過した今、思えることは、手術はしてよかったと思います。

既に抗生物質の効果がほとんどなく、常に頭痛と嗅覚の鈍さに悩み、匂いも酷くなっていて、どこへ行くにもやわらかいボックスティッシュを携帯していないと不安でしたから。今はその不快な症状はどれも残っておらず、人と話すときも気を遣わずに済んでいます。

 

けれど、残念なこともありました。

恐らく、手術後の処置の痛みを我慢したときに割れたと思われる奥歯2本です。

歯を食いしばり過ぎたんですね・・・。

 

歯医者さんに「かなりの力が加わらないと、こんな割れ方はしない」と言われました。

根っこのほうまで亀裂が入っていて化膿してしまっていました。

 

なんとか自分の歯を残す方法で、ということでボンドでくっつけてもらっていますが、あまり固いものは噛まないで欲しいとのこと。

鼻は良くなりましたが、思い切り噛めなくなってしまいました。食べるの好きなのに・・・。

 

まぁ、でも予定通りに退院してすぐに仕事復帰できる人も多いとのことで、私のようにこじらせなければ歯を食いしばり過ぎることもないのでしょうし、副鼻腔炎の不快な症状で悩んでいる方で、手術も選択肢の一つとして考えられている困った状況ならメリットの方が多いのではないかと思います。

でも、個人差というのはつきものですので、そこも頭に入れておいてくださいね。

 

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